死神に対する共感の難しさ
問題となる点のひとつ目は死神に対する共感の難しさという点だ。
ジョー・ブラックとして現世に降り立った死神の目的は、成功者の生活を近くで見たいというもの。
ただ死神という存在の説明がほぼされないという問題がある。
素性がわからないという不気味さというものを演出したかったのかもしれない。
しかし、それを差し置いても解説を放棄しすぎているのだ。
だからこそジョーに対して共感がしにくい、つまり作品としての面白みに欠けてしまう。
まず死神の存在・役割の解釈が幅広い。
「死期が近づくと迎えに来る存在(=現れることがメイン)」「寿命を奪うことができる存在」など作品によって役割が異なる。
人数はひとりなのか、それとも複数人いるのか。死ぬその瞬間にだけ訪れるのか、何日か前から同行しなくてはいけないのか。
このように死神という存在でもその定義は様々存在する。
何よりジョー自身が死神という存在・仕事をどう捉えていたのか、人間という存在をどうみていたかがかなり重要になる。
死神であることを誇りに思っていたのか、嫌々やっていたのか、使命だと受け入れていたのか。
人間についても道具だと見下していたのか、憧れの立場であったのか、尊敬できるポイントがあったのか。
価値観が明らかにならないと、視聴者側はどのような目線で死神という存在を見ればいいのかがわからない。
このようにジョーが持つ過去・心情や生活、感性、そして価値観ががわからないため、死神に対してどのような感情をいただけばいいかが不明瞭である。
彼の目的・行動原理への理解が浅くならざるを得ない、つまり共感できるポイントがかなり限定的になってしまう。
例えばであるが死神は何千年とひとりで人間の命を奪ってきていたがそれは仕事としかみていなかった。加え、それは自分にしかできない孤独な仕事であった。
このような過去や独白があれば、ビル一家やスーザンとの愛に触れたことで人間世界を離れがたいという感情になったことも理解できるし、共感もできる。
ただこうした背景の説明もなしに現状だけがどんどん突き進んでしまえば、こちらとしてはそれを事実としての映像を眺めるだけで作品に入り込める共感の余地がないのだ。
感情や立場がどうしてもフワついた状態でみるストーリーとなり、コーヒーショップをでてからジョーの感情が露になるパーティー会場までのおよそ2時間はかなり退屈であった。
その曖昧な存在として描きたかったのかもしれないが、視聴者としてはその立場を定まらないまま長尺の映画を見なくてはいけないということが苦痛になりかねない。
せめて考察の余地が残るような世界観の示唆があってほしかったなと思う。
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