【2020年本屋大賞】『そしてバトンは渡された』「優子と親子について」【書評・感想】著者:瀬尾まいこ

小説

優子と森宮さん

 『そして、バトンは渡された』では、優子の成長が描かれている。

 その一つが森宮さんとの関係性である。

 梨花との関係で見られるように、そして担任の向井先生が評したように家族間でもどこか一歩引いたところから関係を築いていた。

 それは現在の父親である森宮さん相手でも変わらない。 

 森宮さんとは冗談を言い合い、会話も弾む良好な家庭を過ごしてきた。

 しかし、そんな二人の間にも事件が起きる。

 事のきっかけは優子が高校1・2年でも担当してきた合唱コンクールの伴奏者として、高校3年生でも選出されたことである。

 練習を通して、もし自分が自宅にある電子ピアノではなくグランドピアノがあったらという妄想を広げる。

 森宮さんと夕食を食べてる最中、優子は何気なくピアノが欲しいという発言をしてしまう。

 優子はすかさず遠慮の意味を込めて否定するも、梨花同様に親としての責務を果たしたい気持ちでいっぱいの森宮はその反応を見過ごさない。

 そのことから2人の間で話がヒートアップする。

「だって……。今だって森宮さんに十分なことしてもらっているのに……」

「十分なことって何?」

「家もあるし、ご飯も食べてるし、私何も苦労してないっていうか……」

「当然だろ?」

 森宮さんの言葉にうつむくしかなかった。

 遠慮しているわけでも、本当の親子じゃないと牽制しているわけでもない。

 けれど、知り合って三年の人に、何不自由ない暮らしを与えてもらっていることを

 何も思わず受け入れられるほど私は幼くない。

『そして、バトンは渡された』P218 発行所:株式会社文藝春秋 著者:瀬尾まいこ  

 梨花にピアノを要求した時とは異なる点はいくつかある。

 一番大きな点は優子自身が自分の現状を理解し、責任を感じるような年齢になったということだ。

 小学生であれば無責任な欲望を口にしても許されることが多い。

 もちろん梨花とのエピソードに見られるように、優子自身は自分の欲望を吐露するようなタイプではなかった。

 ただ一般的には叶わないとしても、子供の夢や願望はできるだけ叶えてあげようとするのがと大人の役割である。

 しかしながら厄介なことに、社会的な枠組みとしては子ども(≒未成年)であっても中学生や高校生という年齢になると”大人の諸事情”をそれなりには理解できてしまう

 それは例えば自分の養育費にどれだけのお金がかかって、どれだけの時間がかかっているのか

 生々しい家庭の経済事情や環境を身をもって知るようになる。

 だからこそこの思春期の時期には無責任な欲望を口にすることは阻まれる。

 おそらく小学生時代に話した「ピアノが欲しい」という願いも、叶ったらいいな程度の願望だったのかもしれない。

 ただ高校生となった今、優子には「ピアノが欲しい」という願望を叶えてもらうことがどれだけ大きいものなのか理解してしまっている。

 加えて優子と森宮には血縁関係はない。それどころか親の再婚相手の再婚相手という関係性。

 血縁関係があってもお金関係の話はタブー視されがちだというのに、この関係性ではむやみにお願いなんてできないものだろう。

 それを踏まえて、優子は全力で森宮さんの行動を阻止しようとしていたのであった。

 ただこのピアノの件を通じて優子と森宮さんの関係性は変化する。

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