テルちゃんと仲原の価値観②
テルちゃん・マモちゃん・スミレさん・仲原という異色のメンツでBBQが開催される。
その際、スミレさんから仲原とヨウコの奇妙な関係を突っ込まれる。
それを機に仲原は真剣に今後について考えるようになる。
結果、仲原はヨウコさんを好きでいることを辞めることを告げる。
仲原がヨウコとの求めに応えてしまうから、ヨウコをダメにしてしまっているのだと語った。
その一例として中国の昔話をだす。
王様の無茶なお願いを家臣が全て叶えていくが、それがエスカレートしていき、最後には残酷かどうかの区別もつかなくなる。
最初は王様を悪者だと思っていたが、王様を受け入れ続けてきた家臣たちのほうが残酷かもしれないと仲原は考えたのだった。
「愛って何だろうって思ったんす」
©2019 映画「愛がなんだ」製作委員会
愛を与え続けてしまうことは、人をダメにしてしまう残酷な行為なのかもしれない。
与え続けることだけが愛ではない。そう気づいた仲原は一方的に愛する行為と、その愛を無下に享受されるという関係性を辞めようとした。
「何が愛だよ。愛が何だってんだよ。それってさ、自分がどこまでもようこを受け入れちゃうんじゃないかって自分で自分が怖くなったってことでしょ。仲原君言ってたじゃんすげーさみしいときに思い出してもらえる存在になりたいって。それでいいんだって」
©2019 映画「愛がなんだ」製作委員会
テルちゃんはそれでも傍に居続けるべきだと主張をする。
傍に居続ける残酷さに気が付いたというより、際限のない愛の深さが続くことが怖くなってしまったのだと主張した。
「俺わかったんです。無性に寂しくなるのは俺とか照子さんとかみたいな人間で、ヨウコさんはそうならない人なんだって。だからヨウコさんにみたいな人に俺ら寄ってっちゃうんすよ」
「そんなことないよ。ヨウコだってさみしくなるよ」
「いや、そうっすかね」
「あたりまえじゃん。仲原君の言ってること全部綺麗ごとだよ。手に入りそうもないから諦めたって正直に言えばいいじゃん」
「そうっすね。俺じゃなくてもいい。誰でもいいってのが、正直もうつらいんすよね。あの、俺本当に好きなんすよ。ヨウコさんのこと」
「だったら」
「もういいんす。もういいんすよ。いや、いやけっこういろいろ限界だったんで。諦めることぐらい自由に決めさせてくださいよ」
©2019 映画「愛がなんだ」製作委員会
「都合のいい存在」であったとしても、仲原にとって好きな人の傍に居続けることが幸せであった。
ただ見返りを求めてはないにしても、いつまでも愛に応えてくれないという状況に仲原の精神状態が耐えられなくなってしまった。
また「ヨウコは寂しくならない」と考えるようになる。
仮にヨウコが寂しくなるのであれば、もっと本心から仲原を求めるはずである。しかしヨウコが仲原を本当の意味で求めることはなかった。
ヨウコは「仲原」という人物を求めていたのではなく「傍に居てくれる誰か」がいてくれるだけでよかったと、仲原は結論を出した。
ただ自分と似たような境遇にある仲原が諦めるということを、テルちゃんは認められなかった。
近い立場にある彼が関係性を断つということ、そして自分の感情と見つめ合ったことが許せなかったのだと思う。
これを踏まえて、テルちゃんがどういう判断をするのかが重要になってくる。
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