幸せとは何か
幸せとは何か。
ルビーは自分の家庭についての評価を最悪としている。
一方のマイルズは、ルビーの家庭をプラスの評価をしている。
この違いは何か。
その要因は二人が「相対評価の幸せ」を重視し、幸せの基準が異なる=価値観が異なるからだと考える。
ルビーは”他の家と比べたとき”で考えていた。
学校に大きな音楽を響かせ迎えに来るという圧倒的に目立ちすぎる行為、思春期の女子にとっては苦痛だろう。
魚の卸価格では足元を見られ、好きな男子を家に読んだら隣の部屋で激しいセックスをしている。
それは彼女が想像する”普通の家庭”とは異なるものだった。
もちろんルビーは家族を好きであっただろうし愛していただろう。
ただ彼女にとっては苦痛や辱めが多い家族であったため、理想の家族とはかけ離れていると感じた。。
心のどこかで普通の家庭を望んでいた部分もあったのだと思う。
一方のマイルズは、「君の人生は完璧だ」とまで評価している。
もちろんマイルズには配慮と想像力が足りていなかった。
コーダであることの辛さや、通訳として過ごさなくてはならない日々、そしてその結果募る精神的負担。
こうしたことを考えず、浅はかな行動をとっていたのは間違いない。
ただ自由で仲の良い姿に心を打たれたというのは事実であり、純粋がゆえに気遣いができていなかったのだと思う。
この映画はルビーの主観で動き、家族について肯定的な表現がなされないためあまり感じにくいが、家族の仲がいいという点については間違いない。
食事中にマッチングアプリを開き、家族で恋人候補の審査をするのだ。
まずもって自分の家では考えられない。
これが食事中にできる数少ないコミュニケーションのツールだとしても、マッチングアプリというのはかなり繊細な内面的な部分に触れるものだ。
それを公開できるくらい・さらけ出せてしまうくらい家族の仲がいいことが伺える。
そして特筆すべき点は、両親が未だにお互いの体を求めている点である。
序盤で病院を訪れた原因でもあるが、その後マイルズが来た時には禁止と言われていたにもかかわらず行為をしている。
兄・レオの年齢を考えるとそれなりに年齢は重ねているはずである。
それにも関わらず情熱的に求めあう関係というのは仲の良さ・愛の深さを示しており羨ましい限りである。
そんな仲のいい両親の姿を見てマイルズは「君の人生は完璧だ」と述べたのだろう。
マイルズの家庭は両親の仲が悪く、親に制限されてた行動を強いられている。
歌を歌うことでさえも、自分の親のためであった。
そんな彼から見たルビーの家庭は仲睦まじく、自由で、素晴らしいものだったのだと思う。
まとめ
幸せのかたちは人それぞれである。
自分の理想の環境を手に入れることは難しい。
ただ自分と他人の評価は異なる。
自分がいる環境は誰かが望んでいる環境かもしれない。
最悪だと打ちひしがれる前に、自分自身の良いところを探して大切にするのも一つの手かもしれない。
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