【本屋大賞】『ひと』 著:小野寺史宜【感想・レビュー】

小説

「大人になること」と譲れないもの

 聖輔が大人になるという過程を描いているという部分も良いなと思う。

 まず初めに、聖輔という人物ははっきりいって弱弱しいのである。(むしろ彼の状況を考えれば当然ではあるのだが)

 周りに流されるままという感じが強く、母親の葬式の時もその後の暮らしも「自分の意思」がほとんど介入できずにいたのである。

 しかし「おかずの田野倉」で縁を感じ、その場でアルバイトを申し込んで以降、聖輔の行動は変わっていったように思える。

 大きく①基志との関係、②青葉と高瀬涼、③父親の死との向き合い方の3点から見ることができる。

 ③父親の死との向き合い方については後述するとして、①基志との関係、②青葉と高瀬涼の2つについて見ていく。

 まず①基志との関係から考察していく。この基志というのは聖輔の母の従兄弟にあたる人物である。父と母を亡くした聖輔にとって残された親戚である。

 母の葬式の際に手伝いはするものの、聖輔の母に50万円貸していたといって返すように要求する。聖輔は言われるがまま50万円を返す。しかしながら基志が母にお金を貸していたという証拠はどこにも残っていない。加え、「自分が唯一の親戚」「葬式を手伝った」という名目を立て、(本当に50万円貸したかどうかはさておき)聖輔が断れない条件・タイミングで返すように話を進める。このように基志は少なくとも真っ当なオトナとは言えない、「悪い大人代表」として描かれている。


 しかしそんな聖輔と基志の関係性も次第に変化していく。バイトを始めてから数か月後、基志が聖輔の部屋を訪れる。基志は金銭を要求しに鳥取から東京へやってきたのであった。

 それからまた月日を経て、基志はおかずの田野倉にまで足を運び、聖輔に金をせびる。そこで聖輔は10万円を渡すことで、関係を終わらせるように頼む。

 「母の葬式を手伝ってくれた」その事実だけで基志を親族と認めていたが、「母を利用して金銭を要求する男」として見なすようになる。

 そして注目すべきはこの作品の終わり際である

 『身内。残念だ。でも戦わなきゃいけない。これからの自分のためにも、言うべきことは言わなきゃいけない』

 『僕は受け入れたのだ。一人で生きていくために。大学の学費以上に高い授業料を払ったことを』

 『「もう来ないと思います。たぶん、そんなに強いひとではないので」本当にそう思う。弱い僕にだから、強かったのだ。』

 この一連の出来事やおかずの田野倉での仕事を通して、聖輔は自分の揺るぎのない「芯」を身に付けたのである。弱い自分を認め、はっきりとした意見・信念を持つことで大人に一歩近づくことができたことだろう。


 またここでの話は、先ほど挙げた一美さんとのエピソードとの対比がなされている。

 身内ではあるものの金銭だけを要求し、それ以外の関係を構築してこなかった基志。対して、日々を生きていくことで精一杯で裕福とは言えない生活であるにも関わらず、自分の青春であるベースを職場の同僚である一美さんの息子に譲るのであった。

 お金で得た関係と、お金では決して得ることのできない関係性の2つが対照的に描かれている点も非常に面白い。

 話を戻すが、自分の意思を確立していくという意味においては②青葉と高瀬涼については欠かせない。

 青葉にとって高瀬涼は元カレであるが、高瀬涼は青葉をまだあきらめきれていなかった。そんななかテレビで特集されていた商店街を歩いていた先、聖輔と再会したのであった。

 聖輔と青葉は高校の同級生、それ以上の関係でもそれ以下の関係でもなかった。

 しかし、この鳥取を離れた東京での出会いが彼らの仲を深めるものとなった。そこから二人で遊園地に行ったり、街を歩いたりと友達としては順調に進んでいた。

 それをよく思わないのが高瀬涼であった。高瀬涼は青葉との関係を断ち切るように言われる。

 しかし、最終的には聖輔は「おれは青葉が好き」と告白するに至る。

 特筆すべき点は、この告白以前に高瀬涼に反抗の意を示すことができたという点である。

 これまで聖輔はいわば「振り回されていた人生」であった。これは身内の死別という避けられない事態ではあるが、それでも振り回されてきたのは事実である。

 これは聖輔が元カノの瑞香を見てもそうである。瑞香と付き合う際、付き合おうと声をかけられたことに対し、「いやじゃない」と答えている。ここには聖輔の意思がほとんど介入していない、流されるまま人付き合った。好きな人ができたから別れたいと告げられた時にも「あぁ、えーと」と曖昧な返事をしている

 この告白の前、高瀬涼と会ったときはどうであったか。終始、高瀬涼にペースを握られ、上手いこと話は進んではなかった。しかしながら、節制を心がける聖輔がお金を出すなど、譲ってはいけない部分は自分で守るという強い意志を感じられる。

 このようにはっきりとした「自分」がみえてなかった聖輔が、自分の信念を持ち、思いを伝えられるようになったことは大きな成長といえる。

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