宿儺が興味を持つものは天然の才能?
私が今現在、考えている仮説の一つは「宿儺は天然の才能を求めている」というものである。
根本的にだが、虎杖は他のトップ呪術師と明確に異なる点がある。
それは虎杖が宿儺受肉のため羂索によって用意された器であるということだ。
詳細は上記の記事にて確認していただきたいが、虎杖が羂索によって用意された器であることはほぼ間違いない。
宿儺という強大な呪物を抑え込むために圧倒的なフィジカルと呪力操作の才能を与えられている。
ある種出来レースに近いものを感じており、そこが面白みに欠けていると判断しているのではないだろうか。
一方の伏黒はというと明らかな天然物。当初は自分の才能に気づかなかったものの、そこから領域展開を自分の力で見出し、術式を応用しようとするなど成長速度は凄まじい。
他者から与えられていない”自分の力”という点で虎杖と伏黒は異なるといえる。
また虎杖と真希は同じような身体能力を主軸として戦うが、宿儺が伏黒の体に受肉した際には真希に対してのみ好印象であった。
「オマエは本当につまらんな」
『呪術廻戦』24巻 第215話「受胎戴天-漆-」
”は”と虎杖に限定していることからも真希に対してはプラスの評価を与えているだろう。
これは「天与呪縛」と名前の通り、天から与えられた才能≒天然物の才能であることに宿儺は関心を抱いていると考えられる。
こうした違いから、宿儺は虎杖に「つまらない」という評価を下しているのではないだろうか。
この仮定を補強するものとして脹相という存在がいる。
”渋谷事変”にて虎杖とタイマンを張った脹相。結果は脹相がギリギリ勝ち越すこととなる。
その際、虎杖に対して宿儺は次のような発言をしている。
「下らん。この程度の下奴に負けるとは」
『呪術廻戦』12巻 第106話「渋谷事変㉔」
この発言については、虎杖を貶めるためのものだと当初は考えていた。
しかし脹相は虎杖同様に羂索によって生み出された「受胎九相図」という存在であるため天然物の才能ではない。
そのため先ほどの仮説が成立するのであれば、脹相も人工的な才能であるがゆえに「下奴」と低い評価をされているのだと考えられる。
そもそもにして術師として考えれば脹相は強い部類である。
”渋谷事変”終盤での羂索、”死滅回游”終盤で受肉した宿儺というとどめを刺さずに勝ち逃げというパターンを除けば、術師として急成長を続ける虎杖が敗北したケースは乙骨と脹相の2名のみである。
虎杖の実績を考えれば自ずと脹相の強さもはっきりわかるだろう。
また若くして禪院家当主となるはずだった禪院直哉に対して辛勝しているのであるからトップクラスの術師であることは間違いない。
さらには”死滅回游”開始直後に天元のもとを訪れるが、天元が護衛候補として特級術師の乙骨と九十九に加えて、脹相を加えた3名を挙げている。
羂索に襲われることを想定していたことを考えると、脹相の実力を買っているといえるだろう。
こうした術師としての実績を考えると脹相が「下奴」と呼ばれる筋合いはないように思えてしまう。
つまり別の視点、例えば本仮説のように「天然物の才能ではない」という観点から非難しているのではないだろうか。
今回の記事はあくまでも仮説の一つにすぎない。
これからも仮説と検証を続けていこうと思うのでよろしければ次回もまた。
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