2人の別れ
二人が共有する時間にも限りがある。
同じ中学校を受験する約束をしていたものの明里は親の仕事の都合で転校を余儀なくされ、離れ離れとなることが決定する。
貴樹がこの場面で抱えるのは2つの感情である。
どうしようもない無力感と、将来への絶望である。
先ほども述べたように貴樹の年齢では現実に太刀打ちすることは非常に難しい。
年齢という制約や、未成年かつ保護者の管理下にあること、事由に使えるお金の自由度が大人ほどないという事実がある。
そして、より重要である点はおそらく貴樹の人生にとってこれほど大きな絶望を迎えた初めての経験であるということだ。
貴樹は転勤によって孤独を味わっていたことは想像できる。
それも会える距離での移動ではなく、子どもにとっては大きな障壁である県外移動だろう。
ただ貴樹はそうした孤独を乗り越えてきた。
子供ながらに人生とはそういうものだと諦め、受容してきた傾向がある。
しかし、本当に幸せな時間を経験する前と後では意味合いが大きく変わる。
それまでは普通の人生を送っていた貴樹であったが、明里と出会ってしまったことで当時においては最高の幸福を知ってしまったのだ。
幸福というものは相対評価であり、それまで感じていた”普通の人生”ですら味気ないものへと変わる。
だから貴樹は明里がいないという事実が苦痛であることをはっきり認識していたし、それが今後も続くという絶望に苛まれていたのだ。
さてこの小学生から中学生にかけて、貴樹の環境は大きく変化した。
その中で注目してもらいたいものが下記の一文である。
明里と出会ってから別れるまでーー
小学校の四年から六年までの三年間において、
僕と明里は似たもの同士だったと思う。
『秒速5センチメートル』P12 発行:株式会社KADOKAWA 著:新海誠
何気ない、貴樹と明里が過ごした時間がこれまでにないほど貴重であったことを示している。
ただより重要な点は”似たもの同士だった”という一文である。
これはつまり、中学生となり別々の道を歩んだ二人は次第に”似たもの同士”ではなくなってしまうということを意味する。
お互いの価値観は離れ、貴樹と明里という二人でしか補完できない世界から脱却してしまう将来を感じさせる。
そして”三年間”という年月に限定することで、二人が離れてしまうのは中学生や高校生という学生時代に限る話ではない。
これから先の未来永劫、交わることができないという無常さを示す。
そんな愛すべき幸福をぎゅっと閉じ込めたような一文でありながらも、離別を暗示する切なく悲しい一文であった。
と、今回は貴樹と明里の中学校進学までの内容についてみてみた。
次回はいよいよ「桜花抄」本題となる、中学生時代の二人についてみていこうと思う。
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