「都合のいい女」をなぜ受け入れたのか
さてここまでのテルちゃんを振り返る。ヨウコに付き合いはじめたの?と聞かれた際、にかなりの笑みをこぼしていた。また結婚という単語を意識していたことも伺える。
また33歳以降の未来に私もいる、という言葉はその代表であろう。
つまり、このころのテルちゃんはマモちゃんと付き合い、結婚という未来を描いていたことが伺える。
また「人を好きになるのに理由なんてある?」と話していたことから、この時点ではマモちゃんのことを「好き」という認識でいたことは間違いない。
「好き」という感情であったからこそ、彼女は都合のいい女であることを受け入れていた。
ではなぜテルちゃんは都合のいい女であることを受け入れたのか。もちろん好きだからと言えばそれまでである。
しかし、テルちゃんは自分の存在場所を作りたかったのだと考える。
まず看病と飲みのとき、テルちゃんは嘘をつきすぐさま駆け付けた。これはもちろん好きだから会いたいということもあるだろう。
ただ、それ以上のものをテルちゃんに感じる。
看病しに来た時、マモちゃんの風呂場を掃除していた。それは掃除をすることでテルちゃんの役に立つ=存在意義になることを目指しているのではないかと思う。
テルちゃんがマモちゃんの家に入り浸るようになってからのこと。家の洗濯をしていると衣装ケースに雑然と入っている靴下を発見する。ぎゃーと拒絶する言い方をするも、テルちゃんは笑みを隠せない。
ここでも何か仕事をこなすことでマモちゃんの役に立つ=居場所になるというように考えていたように思える。
そして極めつけはビールを買いに行こうとするときのこと。
テルちゃんがビールを飲んでしまったため、マモちゃんがお風呂上りに飲むビールが無くなってしまった。
自分がマモちゃんの立場であればしょうがないと受け入れるものだと思う。そこまでして飲みたいものではないだろうし、加えて時刻は夜中の2時。いい加減寝た方がいい時間帯。
そんななかでもテルちゃんはビールを買いに行こうとする。ついでにビールを買ってくる、とはいうものの夜中の2時についでなんてあるはずがない。
そんな嘘をついてまで彼女はマモちゃんの役に立とうとしている。
どんな形でもいいからマモちゃんのそばにいる理由が欲しいのだと思う。たとえそれがいいように使われるためでも。そうして行動することで存在意義を果たそうとしている。
いわゆる他人への依存である。
テルちゃんのことを「都合よく扱われる」と述べたが、実際テルちゃんは「自分という存在を求められる」ということを求めている。
「いつでもいってくれていいんだよ。あれこれ頼んでくれるとやることあって逆に助かるの遠慮とか気づかいとかしなくていいからあたしに関しては」
©2019 映画「愛がなんだ」製作委員会
と語っていることからも読み取れる。
何か役に立つ・仕事をこなすことで、傍に立つ理由を探していたのだと思う。
コメント