伏黒の過去
起首雷同編では伏黒の過去が明らかになる。
今までは少ししか描かれていなかった津美紀の存在を掘り下げる。
津美紀に対しては次のような評価をしている。
「悪人が嫌いだ。更地みてぇな想像力と感受性でいっちょまえに息しやがる」
「善人が苦手だ。そんな悪人を許してしまう。
許すことを格調高くとらえてる。吐き気がする」
Ⓒ『呪術廻戦』7巻 第59話「起首雷同-伍-」
伏黒の中学生時代の回想シーンである。
ここでは悪人を非難すると同時に、善人のこともいい評価はしていない。
ただ、伏黒が善人を苦手だと語るのは津美紀のような圧倒的な善性を持ち、どんな悪人であろうが許容してしまうような心の広さが苦手だからである。
「いつも笑って綺麗事を吐いて俺の性根すら肯定する。
そんな津美紀も俺が誰かを傷つけると本気で怒った。
俺はそれにイラついていた。事なかれ主義の偽善だと思っていたから。
でも今はその考えが間違いだってわかっている。
俺が助ける人間を選ぶように俺を心配してくれたんだろ」
Ⓒ『呪術廻戦』7巻 第59話「起首雷同-伍-」
姉の津美紀も暴力反対派というわけではなく、伏黒と同じように人を選んで心配したにすぎなかったのだ。
この起首雷同編では伏黒が姉・津美紀を慕っていること・回想による価値形成のルーツが明らかになる大事な場面であった。
渋谷事変を終え
話を飛びに飛ばして渋谷事変終了後。
激動の末、ようやく合流することができた虎杖と伏黒。
渋谷事変では「呪胎戴天」にて指摘があった通り、助けたはずの(宿儺に体を乗っ取られていた)虎杖が大量殺人を犯してしまう。
虎杖は自責の念を募らせながらも、荒廃した東京から一匹でも多く呪霊を祓おうと試みていた。
すでに罪を受け入れていた虎杖に対し、乙骨は「君は悪くない」と救いの言葉を投げかける。
続いてそこに伏黒も現れる。
「俺は人を殺した。俺のせいで大勢死んだんだぞ」
「俺達のせいだ。オマエ独りで勝手に諦めるな。
俺達は正義の味方じゃない。呪術師だ
俺達を本当の意味で裁ける人間はいない。
だからこそ俺達は存在意義を示し続けなきゃならない。
もう俺達に自分のことを考えてる暇はねぇんだ。
ただひたすらに人を助けるんだ。
これはそもそもオマエの行動原理だったはずだ」
Ⓒ『呪術廻戦』17巻 第143話「もう一度」
注目すべきポイントはいくつかある。
まずは「俺達のせいだ」という発言だ。
ここの「俺達」という部分であるが①フォローしきれなかった高専組全員、②面倒を見れなかった伏黒自身のどちらを指すのかは正直微妙なところではある。
しかしながら危険性のある虎杖をルールを破り私情で助けようとしてきた以上、伏黒にも責任の一端があると感じているのだろう。
そういった点を踏まえると②の伏黒自身の気持ちが強く、責任を負っているように感じる。
それでも虎杖を助けたということに関して後悔している様子はない。
虎杖の件は不慮の事故であると伏黒は考えているのだと思う。
ここでのキーワードは2人が「呪術師」であるということだ。
以前、「呪胎戴天」の際にも伏黒は正義の味方ではなく呪術師であることを強調していた。
それは全員を助ける・正義を遵守するといった真っ向からの善という役割ではなく、呪術師はあくまで呪霊を祓う役職であり、その正義の在り方は人それぞれであるということだ。
またそうした世間一般から外れた世界で生きる以上、法の下で裁くことは極めて難しい。
だからこそ渋谷事変での失態に対しては人を助けることによって存在意義を示さなければならないとしていたのだ。
そして最後は渋谷事変を終えての心境についてである。
今回の渋谷事変では被害が多数出ている。渋谷駅のハイジャックに始まり、呪霊との乱闘、真人の無為転変、そして宿儺の領域展開。
その被害総数は計り知れないレベルだろう。
しかし伏黒自身はその被害状況について特に感情はみせていない。あるいは考えたところで現実は一切変わらないので考えないようにしている・目の前のことをこなすだけというスタンスである。
非常に冷めているというか現実主義だなと思う。
伏黒は「悪人が嫌い」というよりも「善人を助けたい」というニュアンスにて解釈していたが、それを示す結果である。
今回の一番の被害者は一般人である。それは悪人とも善人とも言い難い存在だ。
それに対して大きなショックを受けている様子も、虎杖を責めることもしなかった。
もちろん伏黒自身も責任を感じているのだろうが、それは今回の被害者に向けてのものではないだろう。
つまり「自分が助けたいと考えている善人」以外の存在価値は軽薄であることを示す結果となっている。
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