死滅回遊にて
その最たる例が、死滅回遊平定に向けての話。
第199話「仇名」、第200話「直接会談①」である。
虎杖と伏黒がようやく合流でき、来栖・高羽を加えてこれからについて話し合っていた。
ここでのポイントを整理すると、まず死滅回遊内で目標に掲げていた300点というノルマを達成したということ。
そのため伏黒が考えていた津美紀の離脱もほぼ可能になった。
そして獄門彊の封印を解き五条を開放するという最大の目標も、来栖が天使と共存していることでほぼ解決になった。
しかし獄門彊の封印を解く条件として”堕天”と呼ばれる泳者の抹殺を条件とされる。
この”堕天”であるが、宿儺が自分自身のことだと虎杖に告げる。
つまり虎杖が死ななければ五条復活は叶わないという状況であった。
「点は貯まった。伏黒はもう大丈夫。
先輩らがまだルールを追加しない理由がわからんがそれが終わったら死んでやるよ」
『呪術廻戦』第200話「直接会談①」
伏黒が話したように、天使には宿儺を復活の余地なく消すことができる力があるとされている。
加え、宿儺が消えてしまえば残る強敵は羂索と裏梅くらいのものだ。
それも五条の力があれば解決できてしまうだろう。
だからこそ、全てを解決するという意味においてはこの瞬間が最大のチャンスであった。
しかし、虎杖は”今すぐ”ではなく、ルールが追加されたら自死することを選んでいる。
あくまで伏黒の行く末を見守ろうとしていた。同行者なら当然の権利かもしれない。
しかし虎杖の中身は宿儺である。その当然の権利を持っているとは言い難い。
もし仮に宿儺が話すような「自死の度胸」があったのだったら、虎杖はすべてを来栖・天使に話していただろう。
さすれば宿儺の受肉・五条の復活という2つの大きな問題を解決できる。
それをしないということはどういうことか?
結局のところ、虎杖は自分の命が大切だったのではないかと思う。
もちろん伏黒のことが心配で、津美紀と再会できるのか、死滅回遊を平定できるのか、宿儺の問題はどうなるのか。そうした心配は尽きなかったのかもしれない。
ただそういう理由をみつけては、自分が生きてもいいという存在意義を欲していたのだ。
「初めからこうしてればよかったのかもしれない。
あの時伏黒を助けてそのまま消えれば良かったんだ。
ありがとう。俺に役割をくれて」
『呪術廻戦』第212話「膿む②」
何度も述べるが、残念なことにこの場面であれば虎杖がいなくなったほうのメリットが大きい。
死ぬ覚悟はあると話してはいたものの、実際のところはそこまでの覚悟はなかった.
つまり精神面では我々と変わらない、ただの青年なのだ。
そしてその青年はヒーローになることを望んでいた。
自分には人を救えると、そう信じていた。
だからここでも語ったように役割を与えることに安心していたのだと思う。
自分がただの人殺しで終わらないよう、誰かの助けにはなれるよう。
そんなヒーローになることを夢見た、力を与えられた、普通の感性を持つのが虎杖悠仁という男だ。
ここまで散々な記事を書いたが、虎杖悠仁という人物は好きである。
例え世界を天秤にかけてでも人を救いたいという傲慢さ、自分は死にたくないというエゴ。
この覚悟を持ちながらも人間らしさを追求した人物であるといえる。
かなり長くなってしまったが、以上が『虎杖悠仁って本当に自死する覚悟あったの?』の記事になる。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
別の記事も書いているので良ければどうぞ。
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