【感想・レビュー】『ちょっと思い出しただけ』【ネタバレあり】

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 さて、もう一度二人の職業という観点に戻ろう。 

 照夫はケガをするまでダンサーとして活動していた。つまり言葉を発さずに体で物事を表現をする職業であり、葉ちゃんとは対照的である。

 しかしこうした恋愛スタンスは「言葉話さないから自分のことはどうにか理解して」といった強引で身勝手なものではない。このことに関しては、ダンサーの後輩・泉美が次のように語っている。

「言葉を超えられるじゃないですかダンスって、英語はしゃべれないけど世界中の人とダンスで会話するって素敵だなって。」

Ⓒ『ちょっと思い出しただけ』製作委員会

 このセリフは泉美が海外留学への意気込みを語る際のものだが、ダンサーである照夫の恋愛観を代弁したものともとれる。

 つまり表情や態度でしか表すことができない愛があり、それは言葉を超越さえする、という意味合いであると解釈できる。

 この「愛を態度で表現する」という考え方も大切であると私は考える。

 確かに「好き」という言葉を伝えることは愛情ではあるものの、それが本心かどうかという部分は難しい。好きではなくでも「好き」と伝えることはできてしまう

 時として、電話で「好き」というより言葉を伝えられるよりも、夜中でもわざわざ会いに来てくれたという態度のほうが愛を感じられたりもするだろう。

 またバー「とまり木」のマスター・中井戸は次のように語る。

「なにかをするとかじゃないのよ。

もともと相手に見返り求めるものじゃないし、どのみち愛なんて逃げ道なんだから、

だからいいの。みんなそんな強くないんだから。

誰かが誰かを想って信じあって。

人と人をつなぐのは気持ちとか想いとか、言葉にしたらすぐ壊れるよう」

Ⓒ『ちょっと思い出しただけ』製作委員会

 ここの最後の場面でジェンガが崩れてしまい、一番大切なセリフは中断されてしまう。しかし、ここでは「人と人をつなぐものは気持ちとか想いとか、言葉にしたらすぐ壊れるようなもの」と言いたかったのではないだろうかと考える。

 つまり、脆く繊細である気持ちや想いといった目に見えないものは言葉だけでは伝えきれず、態度でしか表現できない愛も存在すると訴えているのだと思う。


 このように職業としての性質を考えても二者は異なる性質を持つ。

 そして実際に二人はこの恋愛観の違いを語る場面がある。

「何で言葉ってこんなたくさんあるんだろう」

「どういうこと?」

「だってさ、皆おんなじ言葉喋れたらそのまま伝わんのに」

「でも言葉が伝わるからって心が通じるわけではないし、言わなくても伝わるってこともあるだろうし」

「言わなきゃ伝わんないよ」

Ⓒ『ちょっと思い出しただけ』製作委員会

「どういう感じ?あたしら」

「え?」

「あ、ごめん。やっぱ言わなくていい。あ、だめだ」

「心の声出ちゃってるよ」

「はぁ?うっさ。あんたもうちょい出しなさいよ」

Ⓒ『ちょっと思い出しただけ』製作委員会

 

 このように「言わなくても伝わる」/「言わなきゃ伝わらない」「愛を態度で表現する」/「愛を言葉で表現する」という派閥が照夫と葉ちゃんとではっきりしている。

 私としてはどちらかが正しいとは全く思わない。むしろどちらも必要であると考える。

 相手が求めている言葉をかけ、愛を裏付ける態度を怠らない。両者がお互いを想い、寄り添い合うことが大切であると考える。

 照夫と葉ちゃんが付き合うに至ったのは照夫が言いたいことを伝え、葉ちゃんが表情や態度を通じで心から想いを伝えることに成功できていた時期であるからだと思う。それはつまり、偶然二人がかみ合っていたにすぎず、たまたまその時期に「愛の価値観」を一致させることができたのであろう。

 「なぜ別れたのか」というよりかは、二人が別れることは必然だったように思える。むしろ異なる「愛の価値観」を持っていたにも関わらず、「なぜ付き合えていたのか」。最後にこの部分にフォーカスしていく。

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