今回は映画『ちょっと思い出しただけ』の感想・レビューについてまとめていく。
第2回目の記事となるため、前回の記事を読んでいない方は下記からどうぞ。
あらすじ
7月26日。佐伯照夫の誕生日であるこの日だけを、2021年から1年ずつ遡る。
ケガでダンサーの夢を諦めた照夫と、タクシードライバーの葉ちゃんが過ごした「終わりから始まり」の6年間を描く物語。
感想・レビュー
前回の記事では照夫と葉ちゃんの恋愛観についてまとめた。
今回は「段階的な伏線回収」と題して、『ちょっと思い出しただけ』という作品を掘り下げていこうと思う。
段階的な伏線回収
本作品の特徴は何といっても7/26という日を1年ずつ遡るという点である。
「同じ日付」を「遡る」ということが物語の面白さを何倍にも増幅させている。
その面白さについて一つずつ見ていこうと思う。
ルーティンから変化がわかる
まず毎年「同じ日付」を映すということから日常と非日常を同時に見ることができるのである。
まずは1年目、照夫の部屋から映像がスタートする。
照夫が起きてから窓際の植物に水をやり、猫にご飯を用意し、ラジオ体操を始める。
外に出て、道端のお地蔵さんに合掌し、公園のかたと挨拶を交わす。
この段階では単なる日常のワンショットである。
しかし、2年目でも照夫は同じ行動をとる。窓際の植物に水をやり、猫にご飯を用意し、ラジオ体操を始める。道端のお地蔵さんに合掌し、公園のおじさんに挨拶をする。
ここで1年目の朝に起きた出来事が照夫にとっての日常、つまりは変わることのないルーティンであることが明らかになる。
また照夫が公園で挨拶をしたのは女性陣ではなくベンチに一人佇んでいたおじさんであったことが判明する。公園の掃除をしているからよけてと声をかけられても一切動じない「変なおじさん」として描かれていた人物に声をかけ続けていることから、伏線なのではないかと考察できる。
そして、3年目。この時の照夫は1・2年目とは様子が異なる。
足を引きずっており、上手く歩けていない。お地蔵さんへのあいさつはなく、公園のおじさんへの声も小さく元気はない。
このことから少なくとも2年間続いていたルーティンを守れないくらい照夫が憔悴していることが示されている。精神的な余裕が一切ないであろうことが汲み取れるのである。
足を引きづっている描写から大きなケガであることが考えられ、後輩・泉美との話題に出ていたダンスを辞めた原因であることが推測できる。
この2年目で語られたダンスを辞めた→3年目でケガの描写という、結果から原因を推測できるということが面白い。考察・推測をしながら映画を楽しめるのである。
またルーティンから始まることで「日常」であることを強調し、ルーティンから外れた行動をすることで逆説的に変化がはっきり明瞭になる=「非日常」が分かりやすく対比なされているのである。
さらには4年目になると当時付き合っていた葉ちゃんが照夫と一緒に寝ている。
ここで照夫と葉ちゃんが一緒にラジオ体操をし、お地蔵さんに合掌するシーンが映される。
ただ5年目・6年目はこの朝のルーティンが描かれることはない。
主題から逸れるから除外したのかもしれない。尺の都合上、カットになったのかもしれない。
しかし、この植物を育て、一緒に猫を飼い、朝にラジオ体操をし、お地蔵さんに一礼をするという一連のルーティンは照夫と葉ちゃんが二人で築いてきたという可能性がある。だからこそ照夫と葉ちゃんが付き合う以前の5・6年目はルーティン自体が存在しなかった=描かれることがなかったのではないだろうか。
この真相は定かではないにしろ、二人で共に続けてきたルーティンを照夫は葉ちゃんと別れたあとも続けているということになる。
もしかしたら照夫は葉ちゃんのことを忘れられていないのかもしれない。
そう考えて1・2年目のルーティンをみると照夫はどことなく寂しそうな気がするし、ぽっかり空間が開いているような、1回目の視聴とは違た視点でみることができる。
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