今回のテーマは「虎杖悠仁って本当に自死する覚悟あったの?」という部分に着目していこうと思う。
前回の記事は↓から。
虎杖悠仁と死
『呪術廻戦』という作品における終着点の一つに”虎杖悠仁の死”が挙げられる。
この死という道については1巻の時点で決まっており、死までの過程を描く物語が『呪術廻戦』である。(と考えられていた。)
「君には今2つの選択肢がある。
今すぐ死ぬか、全ての宿儺を見つけ出し取り込んでから死ぬか」
『呪術廻戦』1巻 第2話「秘匿死刑」
誤って宿儺の指を取り込んでしまった虎杖は、呪術規定により死刑を宣告される。
ただその分、宿儺の器である才能を認められていた。
祖父・倭助の「オマエは強いから人を助けろ」という言葉を受けていたため、宿儺の器としての使命を全うすることで、呪いに苦しむ人を救える可能性を感じていた。
そして夜蛾学長との魂の対話をすることで、「宿儺を喰う」という自分にしかできないことへの意思を確立する。
深堀するより前、一度虎杖悠仁の価値観について話す必要がある。
彼の根底にある価値観では「人を助ける」と「正しい死」という2つが大きい。
「オマエは強いから人を助けろ。
手の届く範囲でいい。救える奴は救っとけ。
迷っても感謝されなくてもとにかく助けてやれ。
オマエは大勢に囲まれて死ね。俺みたいにはなるなよ」
『呪術廻戦』1巻 第1話「両面宿儺」
自分が敬愛する祖父・倭助の死と遺言こそが、彼の価値観を体現していた。
まず他人が持ちえない力を持つからこそ、人を助けることを託されていた。
ではもうひとつの正しい死とはどういう意味だろうか?
それは人としての天寿を全うできるかどうかという部分だと考える。
呪いによる被害は災害に近い部分がある。人としての生活を破壊しつくす暴虐であり、”不慮の事故”と言い表すこともできる。
つまり、正しくない死とは「呪いによって運命を捻じ曲げられた人」のことを示すだろう。
そこで今回の記事においては正しい死というものを「人としての使命を全うできた死」と定義する。
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