ジャンプ本誌では少しずつ羂索や宿儺について明らかになってきている。
そんななかで今回注目したいのが、下記の宿儺のセリフである。
「好きにするといい。
私にとって宿儺は獄門彊が失敗した時の代案に過ぎない」
『呪術廻戦』11巻 第93話「渋谷事変 93」
最近になってこのセリフの意味合いが大きく変わったことに気付いたので、こちらを掘り下げて話してみようと思う。
11巻までの宿儺について
さてこのことについて語るためには、この11巻まででみられた宿儺という存在について振り返る必要がある。
天上天下唯我独尊、という言葉に表せるように宿儺は非常に独善的な人物である。
その様子は随所に現れている。
一番目立つ話は虎杖vs真人の戦いだ。
特級呪霊である真人は、虎杖と交友関係の深かった吉野順平を改造する。
宿儺復活のため非常に強力的であった真人は、虎杖を精神的に追い詰めることで自発的に宿儺との間に縛りを設けさせようと考えていた。
しかし宿儺はそんな真人の思惑や虎杖の思いを「断る」の一言で跳ねかえす。
そもそも真人の”無為転変”によって魂の形状が変わっているため、宿儺の反転術式では治すことができず、縛りを設けることがそもそもできなかったという可能性が高い。
それでも自分を復活させてくれようと協力してくれている人物に対しても、強弁な態度をとっている。
そし真人がいくら協力的な人物とはいえ、領域展開で魂に触れることを許すことはしなかった。
虎杖に協力することは決してなく、自分が不快に感じたからという理由で真人へ攻撃を加える。
強力的な人物に対して容赦のなさは非常に独善的といっていいだろう。
また五条は宿儺自身が、指を集めるためのレーダーとして機能すると想定していたが、実際は全くそんなことはない。
指を集めることは高専にとっても、宿儺にとっても重要な事柄であったはずだ。
特に指を集めることで宿儺は自我を取り戻せる可能性があるのだからもっと協力的になってもおかしくない。
しかし宿儺は非協力的であり、欲しいなら探せばというような随分と強気な態度をとっている。
呪いの王たる宿儺は”王”として自ら手や足を動かすことはせず、玉座に座って見守るという傲慢さと、ただの人間とは対等ではないという尊大さを持ち合わせている。
宿儺は自身を圧倒的な強者であると捉えており、まさに己の快・不快のみが指針。
そのため宿儺にメリットがあろうがなかろうが、宿儺が動くかどうかは彼のモチベーションと気持ち次第である。
つまり敵か味方かもわからない、非常に扱いが難しい人物であるといえる。
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