“大人”を知った五条と夏油
結果、儚くとも彼女は禪院甚爾に殺害されてしまう。
金と利権に溺れた”大人”の願望と策略によってだ。
これまでにも五条や夏油の周りで亡くなった人物もいたことにはいただろう。
ただそれは彼らにとっての”身近な存在”ではなかったはずだ。
しかし、今回の天内理子の一件に関しては共に過ごした時間や出来事があったからこそ”身近な存在”ではないと受け入れることはできなかった。
ここで初めて夏油は現実を思い知ることとなる。
自分たちが無敵で最強な存在ではなく、手が届かないこともあるという事実。
大切な人物を失う、”死”という概念も身近に存在するという一方通行な世界。
そうした生きるうえで避けようのない、どうしようもない現実とはじめて向き合うこととなる。
それが”大人”に近づくことであると私は解釈した。
彼らは学生時代という輝かしい青春の中で、夢や希望、願いをひたむきに集めてきた。
ただこの禪院甚爾との一件を経て、”大人”というグロテスクで悲惨で、汚れ切っている現実を垣間見てしまった
自分たちが無敵で最強なんてことはなく、無力と不甲斐なさを知り。不可逆なものがあるということを心から知ってしまった。
それがこの懐玉・玉折編の一連の流れであった。
そこから先にどうなったかというのは多くは本編で取り上げられている。
現実を知ってしまった夏油は、その中で理想を叶えるために高専を辞めて自分の世界を作り上げようとした。
一方でここまで綴ってきたのは夏油視点。
五条はというと、”最強”となった五条にとっては最も居心地がいい世界となり、この薄汚れた呪術界で真っ当に生きることを覚悟する。
その後、夏油がどうなったかについては↓の記事でまとめておりますのでご参照いただければと。
以上が”大人”と対峙するという話であった。
興味があれば他記事も見ていただければと思う。
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