その道具という部分に着目すると、ぶっささるシーンがある。
死滅回遊参加前に秤を連れ戻すという指令を与えられたのことだ。
高専のまわしものとバレた虎杖が秤を説得するために、攻撃を真っ向から喰らい立ち続ける熱い場面。
「俺は部品だ。部品には役割があんだろ。
呪いを祓いつづける俺の役割。
それに秤先輩が必要だっていうのならアンタが首を縦に振り続けるまで付き纏う。
先輩、アンタの役割は何だ」
『呪術廻戦』18巻 第157話「部品」
ここでは自身の役割を”呪いを祓いつづける”と銘打っている。
しかし羂索視点で考えると「あれが宿儺と生き続ける限り呪いの連鎖は止まらない」というセリフにもあるが、残酷にも”呪いをバラまき続ける”という役割が与えられてしまっている。
ここまでをみると、これまで虎杖が振るっていた希望というものは瓦解してしまう。
なぜなら誇らしげにふるっていたその肉体の強靭さは宿儺のために用意された贄でしかない。
人々を救うための強さと才能であったはずが、人々を屠るために用意された強さと才能だったのだ。
「ありがとう。俺に役割を与えてくれて」
『呪術廻戦』第212話「膿む②」
このセリフは死滅回遊の平定がほぼ終わりを迎え、伏黒の姉・津美紀も離脱できそうという状況まで事が進んでいた時のセリフである。
紆余曲折ありがならも、自分を大事にしてくれた盟友の願いである津美紀を助けられるということで自らの役割を果たせると感じていた。
自分が持つのは人を救えるための力だと信じ込んでいた。
しかしこの直後に宿儺の「契闊」という発言のもと、体を明け渡してしまい伏黒の体へと受肉を果たす。
羂索が虎杖悠仁に与えた役割はひとつ。
宿儺が完全受肉を果たすまで、器として保護し続けるというものであった。
虎杖がいくら美化しようとも、この残酷な事実だけは避けようがない。
彼が期待していたヒーローにはなれない。結局は人類を滅ぼすための部品という扱いでしかなかったのだ。
しかし何より辛いことは虎杖悠仁本人はそれを一切知らないまま、自分はヒーローになれると信じ込んでいるということだ。
自分が大勢の人を救えると心から願っている。というよりかはそう信じない限りは渋谷事変での大量虐殺を純粋に受け入れてしまうことになる。
そんなことをしてしまったら精神崩壊どころの騒ぎではない。
いくら必死になったところで羂索によって敷かれたレールの上を走ることができない、というのが恐ろしいほど惨い現状である。
長々と書き連ねてしまったがこれが虎杖悠仁の存在価値に関するまとめである。
このような視点を持つとより一層楽しめるのではないかと思う。
それではまた次回の記事にて。
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