『呪術廻戦』において、ところどころで登場する”肉体”と”魂”についての関係性。
おそらく、伏黒恵の体を取り戻すためにも必要な情報になるのは間違いない。
今回は自分なりの考察を進めていこうと思う。
『呪術廻戦』における”肉体”と”魂”という概念
何となくで流していた方も多いかと思うが、この肉体と魂というものは大きなキーワードであると考える。
改めて注目したのは九十九由紀が残した”魂の研究記録”の存在を思い出したからである。
虎杖に託した描写があるということで、今後伏黒を開放するためにも魂というワードは欠かせないだろう。
しかし、よくよく振り返ってみると本編ではこれまで多くの伏線が張り巡らされていた。
今回は呪術廻戦における「肉体と魂」について考えていこうと思う。
真人の術式
『呪術廻戦』において”肉体”と”魂”という概念がきちんと登場するのは真人が登場してからである。
呪霊である真人は「無為転変」という術式を使用するが、この術式はその手で触れたものの魂の形状を変えるというものである。
しかし、実際には魂の形状を変えることで肉体の形も変化する。
人間のサイズも手のひらサイズから、数倍の体積まで形状の幅もかなり広がる。
このことから魂と肉体には深い関係があることは明らかである。
ではどのような関係であろうか、というと真人は魂のほうが上位にあると考えている。
「肉体に魂が宿るのかな?それとも魂に体が肉付けされているのかな?」
「(聞く…しかないか…)前者」
「不正解。答えは後者。いつだって魂は肉体の先にある。
肉体の形は魂の形に引っ張られる」
『呪術廻戦』第3巻 第22話「幼魚と逆罰-肆-」
つまり真人は魂のほうが人間の「核」であり、肉体はその「核」を出力するための入れ物でしかないと考えている。
これに関しては宿儺の器という観点からも記事を書いているのでこちらも参照いただければと思う。
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