どう生きるのか
この映画は「どう生きるか」というテーマも強調している。
シイちゃんにとって、マリコという存在はかけがえのない存在であった。
学生時代にはDVを繰り返すマリコ父を止めるために玄関先まで向かう、暴力をふるう彼氏から懸命に守る、そして遺骨を盗みに行くなどマリコのためにかなり体を張っていた。
それほどまでに大切な人物であったことは間違いない。
だからシイちゃんはマリコがいなくなってしまったという事実、それだけで人生を放棄してしまうには十分な理由であった。
ただこの映画で伝えたい部分は、どれほど辛く苦しい思いを抱えたとしても”生きなくてはいけない”ということを強く訴えているように思える。
「死」を迎えるために一歩踏み出すことができても、確実に死ぬ方法を選べる人間はさほど多くはないだろう。
リストカットや大量服薬などはあるが助かるケースも多々ある。
今作もその延長上にある。
シイちゃんはマリコがいなくなったことで自暴自棄になっていたフシがある。
彼女自身、まりがおか岬で自分の人生も終わらせようと考えていた可能性が高い。
わざわざはるか昔に買ったものの開封していなかったDr.Martinを履き、ブラック企業であるが休みのことを考えずに青森県まで向かった。
この時点で後先なんかはかんがえていなかったはずなのだ。
しかし結局のところシイちゃんは死ぬことはできなかった。
それどころかマキオによっていろいろな部分で助けられてしまう。
そのマキオも自殺するためにまりがおか岬を訪れるが結局死ぬことができずに終わっている。
シイちゃんしかり、マキオしかり、深い絶望に苛まれてどれほど死にたいと願っていても当たり前のように日常は訪れてしまう。
お腹は当然空くのでマキオから駅弁を受け取るとすぐに食べてしまう。
仕事は辞めようと思っても、辞めることはできずに苦しい毎日が続く。
アクロバティックでドラマティックな遺骨の脱出劇を終えても、結局マリコ義母には自宅の住所がバレてしまっている。
非日常と思えたのは一瞬で、いつも通りの日常がそこには待っていた。
きっと特別な日なんてものは一瞬でしかない。
だからこそその日常の苦しさを受け入れ、耐え難い一歩を踏み出しながらでも生きていかなくてはいけない。
「いない人に会うためには自分が生きているしかないのでは」とマキオが語ったように、何が何でも生きることが一番大切であるのと感じた。
ではまた次回の記事で。
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