伏黒恵の体は戻るのか
さて、今回のテーマである「伏黒恵の体は戻るのか」にいよいよ入ろうと思う。
結論から述べると、私は伏黒の体は戻ると考えている。
その根拠について順を追って説明しよう。
① 起首雷同編にて
”起首雷同”編にて虎杖と釘崎は壊相・血塗と対決することとなる。
ここで呪霊であると思い込み戦っていた二人であるが、壊相・血塗の正体は受肉した受胎九相図であった。
つまり性質としては呪霊ではなく人間・呪詛師に近い存在であった。
壊相・血塗の命を殺める結果となるが、受肉体である2人は死しても尚、姿を変えることがなかった。
受肉元の肉体へと変貌を遂げるのではなく、受肉した壊相・血塗という姿のままであり続けたのである。
ここで注目したいポイントは受肉という行為は、「呪物(≒魂)を取り込む」→「肉体が変化する」という順番であるということだ。
つまり魂が変化したことで、肉体も併せて変化を伴ったのが壊相・血塗である。
真人の術式についても、この考え方と非常によく似ている。
真人の術式・無為転変はもともと「触れた者の魂の形状を変える」という能力である。
その魂の形状を変えた結果として肉体まで変化することとなり、改造人間などを生み出すに至った。
真人の場合も、「魂の変化」→「肉体の変化」という順番となっている。
このことからも受肉という行為は「魂の変化」がはじめにあり、準じて「肉体の変化」が訪れるといえるだろう。
② 伏黒甚爾について
次に”渋谷事変”編の伏黒甚爾についてみていきたい。
オガミ婆は降霊術により孫へ”伏黒甚爾の肉体の情報”を降ろすこととなる。
しかし天与呪縛・呪力を一切持たないという特異な性質を持つ伏黒甚爾を拘束することができなかったため、”伏黒甚爾の肉体の情報”だけではなく”伏黒甚爾の魂の情報”まで降りてきてしまう。
入り乱れた戦線の中、実の息子である伏黒恵と対峙した際には自ら命を絶つことで恵の命を守るのであった。
この際、命を絶った後には伏黒の肉体ではなくオガミ婆の孫の容姿へと変貌を遂げる。
ここで注目したいのは伏黒甚爾の場合には「肉体の変化」(降霊術による肉体の情報)→「魂の変化」(イレギュラーな魂の情報)という順番であったことだ。
”魂”と”肉体”の関係性について
ここで一度、羂索の見解について考えよう。
「君は魂は肉体の先に在ると述べたが、やはり肉体は魂であり魂は肉体なんだよ。
でなければこの現象にも入れ替え後の私の脳に肉体の記憶が流れてくるのにも説明がつかない」
『呪術廻戦』11巻 第91話「渋谷事変⑨」
つまりは”魂”が変化するのであれば”肉体”も変化するし、”肉体”が変化すれば”魂”も合わせて変化するという考え方である。
壊相・血塗が受肉したように、あるいは真人の術式で魂を変化させると、付随して肉体までも同時に変化が起こる。
一方でオガミ婆の降霊術のように肉体を変化させると、魂に変化をもたらす。
もっともオガミ婆の降霊術の場合には、本来は暴走を防ぐため”肉体の情報”のみを降ろしているが、制限しなければ”魂”の部分まで変化があると考えられる。
以上のように”魂”と”肉体”はお互いに干渉しあっており、どちらかが変化するともう一方も変化するという相互関係にあると考えられる。
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