死に対する覚悟
さて、問題となるのは受胎戴天編での宿儺の発言である。
「虎杖は戻ってくる。その結果自分が死んでもな。そういう奴だ」
「買い被り過ぎだな。コイツはほかの人間より多少頑丈で鈍いだけだ。
先刻もな、今際の際で脅えに脅えゴチャゴチャと御託を並べていたぞ。
断言する。奴に自死する度胸はない」
『呪術廻戦』2巻 第9話「受胎戴天 -肆-」
虎杖が自死するかどうかに対し、”断言”というかなり強い意味を示す言葉を使用している。
しかし宿儺の予想に反し、虎杖は自我を取り戻し自ら死を選んだ。
この宿儺の発言であるが、単なる読み違いではなく「自死する度胸」という解釈が異なると考える。
そしてこの発言、第200話「直接会談①」でもわざわざ取り上げている。
死滅回遊を平定できる直前、そして伏黒の姉・津美紀も離脱できそうという場面。
獄門彊を開けるためには宿儺の抹消≒虎杖の死が必要とされていた。
そこでは虎杖が何が何でも死を選ぶという覚悟が打ち出された、かなり気合の入ったシーンであった。
自分を見くびっているだろう宿儺に対しての決意表明という意味合いなのだろうが、だからこそ先ほどの宿儺のセリフに重みが増す。
つまり、「自分自身では覚悟できたようだが、結局は覚悟が甘かった」というようなセリフとともに、廻り巡って虎杖にカウンターが来るのではないかと思っている。
具体的な内容については以降、深堀していこうと思う。
虎杖悠仁の価値観
まず初めに書き留めておきたい部分は虎杖悠仁の価値観である。
宿儺を取り込んでしまったことで2つの選択肢が与えられ、宿儺の指を集めることを決意する。
その宿儺の器として使命を全うすることは、多くの人を救うことに繋がる。
つまり呪いの厄災である宿儺と心中することで「人を助ける」「正しい死」という2つの価値観を満たし、自分がヒーローになれると考えていた。
しかし、現実は甘くないことが受胎戴天編にて明らかになる。
まずは自分自身が「正しい死」を迎えられると思いあがっていたということだ。
特級クラスとの戦闘を経て、自分の死にざますら選べないこと、人を助けることすらできない弱さに気付く。
「自惚れていた。俺は強いと思っていた。
死に時を選べる位には強いと思っていたんだ。
でも違った。俺は弱い」
『呪術廻戦』1巻 第6話「受胎戴天」
ここでは虎杖自身も死に対する恐怖を感じる人間であることが強調されている。
体こそ強靭ではあるものの、メンタル部分で考えると大差はないのかもしれない。
その特級呪霊は宿儺と代わることで倒すことができたが、縛りを設けなかったことで一時的な所有権を受け渡してしまう。
結果、伏黒が殺される直前まで追い込まれてしまう。
「虎杖は戻ってくる。その結果自分が死んでもな。そういう奴だ」
「買い被り過ぎだな。コイツはほかの人間より多少頑丈で鈍いだけだ。
先刻もな、今際の際で脅えに脅えゴチャゴチャと御託を並べていたぞ。
断言する。奴に自死する度胸はない」
『呪術廻戦』2巻 第9話「受胎戴天 -肆-」
しかし、虎杖は自ら体の所有権を取り戻し自死という選択をとる。
この場面では”死を拒絶する虎杖”と”死を受容する虎杖”の2つが描かれる。
対極にある行動をとった理由の一つとして「正しい死かどうか」という部分が挙げられる。
特級呪霊戦では遊ばれたうえに殺されかけた。
「人としての使命を全うできた死」≒正しい死とはかけ離れたところに位置する。
志半ばで死ぬわけにはいかないと、死を拒絶したのがこの場面である。
一方で宿儺に体を明け渡したとき、虎杖自身が体を取り戻さなければいつ伏黒が目の前で殺されるかわからない状況であった。
つまりそのままの状態であると、伏黒が間違った死を迎えることに対して虎杖自身が助長する可能性が非常に高かったのだ。
また自死という道を選ぶことで伏黒一人を目の前で助けることができる。
そういうわけで虎杖としては所有権をとりもどして助けざるを得なかったのだ。
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