術式を見ているのか否か
では次に考えられるのが術式の強弱で判断しているのかどうかである。
「簡単な式神とか結界術は別として基本的に術式は生まれながら体に刻まれるものだ。
だから呪術師の実力は才能がほぼ8割って感じなんだよねー」
『呪術廻戦』2巻 第12話「邁進」
詳細については下記の藤堂葵に関する記事にて解説している。
現代最強の呪術師がこのように語ることからも、術師において術式の重要度はかなり高い。
宿儺も同じように術式で良し悪しを判断している可能性がある。
確かに”渋谷事変”では美々子・菜々子が宿儺に対しての交渉が失敗し、スマホを用いた術式を使用し反撃しようとした美々子に対してはつまらんと発している。
このことからも術式重視で宿儺は人を選んでいる可能性がある。
しかし”死滅回游”にて受肉を果たした宿儺が真希と戦った際には「ハハッいいぞ‼」とご満悦。
また呪力放出の術式しかない石流に対しても、一度攻撃を防いだことでプラスの評価を見せていた、。
このことから術式の良し悪しだけで判断しているというわけではなさそうである。
心を折ることが楽しいのか
宿儺は人の心を弄ぶことが好きだから、という可能性について考えてみよう。
確かに宿儺はこれまでに様々な形で絶望に陥れてきた。
ただ描写を見る限り、戦闘の結果として絶望が与えられているだけであって、絶望する顔をみたいがために戦闘をしているわけではないようだ。
より絶望を与えたいのであればより残忍で、より残酷な殺害方法だってあるはずだ。
それが美々子・菜々子を瞬殺したり、作中では強敵であるはずの石流ですらまともな戦闘を行っていないことを鑑みると、さほど人をいたぶることに興味はないと考えられる。
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