伏黒の価値観
「呪胎戴天編」では少年院に特級相当の呪霊が現れる。
虎杖・伏黒・釘崎の3人は伊地知から「生存者の確認と救出」という任務を与えられる。
その際に自分の息子が閉じ込められたという母親が訪れ、虎杖は救出に対しての意気込みをみせるが伏黒はあまり乗り気ではない。
実際、生得領域内にて遺体を発見し持ち帰ろうとする虎杖に、強く反対する。
「ただでさえ助ける気のない人間を死体になってまで救う気は俺にはない」
Ⓒ『呪術廻戦』1巻 第6話「呪胎戴天」
「目の前の人を全員助ける」という圧倒的にヒーローとしてのスタンスをとる虎杖に対し、伏黒はリアリスト的な部分が色濃く映る。
呪霊が現れた今回の舞台は少年院。救出の指示があった人々は当然ながら過去に罪を犯した人間である。
伏黒としてはそうした「過去に罪を犯、今後も罪を重ねるであろう人物」を助けたくないと考えており、「助ける人間は選びたい」という信念のもと生きていることがわかる。
任務だからこそ救出を試みてはいるが、悪性を持つ人間を助けるという任務自体にも懐疑的である。
つまりここでは「より大勢のひとを助ける」という信念を掲げる虎杖と、「助ける人は選ぶ必要がある」という考えを持つ伏黒の対立が描かれている。
この 「正しさとは何か」「誰を救うか」という視点は、呪術廻戦という作品におけるひとつの大きなテーマであり、今後も重要を担っている。
また芥見先生のいやらしい部分は、母親から助けてくれと頼まれた息子の名前が「正」である点だ。
おそらく正しくあってほしいということから名づけられたにも関わらず、法に反した行動をとる。
そんな人物を救おうとする行為は果たして「正しい」のかどうか。
考えさせられる一幕である。
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