術式の拡張が難しい
先にも述べたがパターン化されてしまうという問題がある。
結局のところ発動条件が「手を叩く」という制約がある以上は相手にもそのタイミングがバレることが多い。
そのため対策をしやすい術式であるといえる。
戦闘IQが高い東堂は、その名の通り不義を働くことでうまく立ち回っている節がある。
例えば呪力を持つ者同士を入れ替えることができるにもかかわらず「自分と入れ替わる」、また入れ替わる対象を「人」であるかのように思わせた。手を叩いたとしても必ず術式を使用するとは限らない。
このように機転を利かせてはいるが、それでもバリエーションには限りがある。
七海建人であれば”瓦落瓦落”、夏油や漏湖が使用した「極ノ番」、脹相がみせた「載」など、必殺に繋がる大技を生み出すことはない。
その点においては術式拡張が難しく、パターン化してしまう術式であるといえる。
その初見殺しが強いといわれればそれまでだが、作中でその初見殺しが成り立っているのは戦闘ステータスが情人離れしている東堂だからこそだろう。
この術式を持っていたのが伏黒や加茂であったならここまで強い効力を持たなかったことは間違いないだろう。
術式”不義遊戯”についてみてきたが、術式自体は決して強いわけではなく戦闘ステータスが振り切っている東堂葵という人物が使用するからこそ強い術式なのである。
そのことだけは忘れてはならない。
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