術式に限った話をすると、”不義遊戯”というのは東堂葵が強いから強いようにみえるが、実際に術式の格で話せば相当下のランクに位置付けられる。
今回はその不義遊戯の強さ・弱さについて解説していこうと思う。
術式”不義遊戯”とは
”不義遊戯”とは京都校の1級術師・東堂葵の術式。
手を叩くことで一定範囲内の呪力を持つもの同士を入れ替えることができる。
呪力をもっていれば人間だけではなく呪物や呪具とも入れ替えることが可能。
入れ替わる対象も指定することができる。
術者本人のポテンシャル次第
以前、東堂葵という人物について掘り下げた際にも述べたが、”不義遊戯”が戦闘特化の術式ではないということに触れておきたい。
例えば、わかりやすい例でいえば釘崎の”芻霊呪法”や加茂や脹相が使用する”赤血操術”は呪力を直接攻撃手段へと変化させる。
あるいは七海の”十劃呪法”や真人の”無為転変”は攻撃のダメージ増大を促すものである。
また禪院直毘人や禪院直哉が持つ”投射呪法”や秤金次の”座殺博徒”は攻撃にも繋がりはするが、直接的なバフ・デバフ効果を得ることができ、戦いを有利にする。
これらの術式は自分や相手に直接的に干渉でき、なおかつ即効的に効果が反映されるという強みがある。
一方の「不義遊戯」は自分や相手に影響があるものの、あくまで戦闘補助としての術式である。
相手へのダメージに繋がることもなく、自分の能力値アップにはならないのだ。
他の術式とは異なり、”不義遊戯”は攻撃手段ではなく戦術・戦略のひとつにすぎない。
上記であげた術式らは「術式を主軸にした戦闘」が可能であるが、”不義遊戯”は「地の戦力を補うための術式」であり、術式をメインとした戦い方をすることはできない。
つまり実質的には術師本人が呪力操作と身体能力で戦えるだけのポテンシャルが必要ということだ。
術師は術式という才能が8割を占めるといわれる中で、東堂が持つ術式は非常に使い勝手が悪い。
「知ってるよね?私の術式。
”烏を操る” それだけだよ。弱いよね
だから若い時は必死に鍛えたよ。術式なしでも戦えるようにね」
~中略~
「自分に言い聞かせた。術師の真価は術式ではないと。でもね限界がきたんだ。
身体能力も呪力による肉体強化も延々と向上するわけではない。
挫けたさ。挫けたからこそ再び自らの術式と向き合うことで
私は1級術師として花開いたのさ」
『呪術廻戦』12巻 第98話「渋谷事変⑯」
冥冥がこのように語ったが、身体能力と呪力のみで成長し続けるのは相当な困難である。
術式を持っていたとしても準1級や2級で頭打ちになる中で、術式を使わずに昇り詰めれる人間は余程の上澄みだけだろう。
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