つまり宿儺の指を取り込んだ人物がたまたま器としての強度と自我を保つ天賦の才を持っていたのではなく、器としての強度・自我を保てる人物が宿儺の指を取り込むように羂索が仕向けたのだ。
「我ながら流石というべきか。宿儺の器タフだね」
『呪術廻戦』15巻 第133話「渋谷事変50」
当時は何を言っているか理解できなかったが、この発言から羂索の血を引いて恣意的に宿儺の器を産み出したということが明確になる。
ミソとなる部分は、おそらくあえて自我を保てるようにしているというポイントだ。
おそらく自我が保てないのであれば祓われて当然の存在。
指一本分であれば五条先生さえ存在できていれば解決できてしまうだろう。
ただあえて自我を持たせること、器としての価値を見出させることにより呪術総監部の意見を分かれさせたのではないだろうか。
特に羂索は夏油の記憶を引き継いでいることから、五条悟であれば器を生かしておくと踏んだのかもしれない。
さて、この虎杖悠仁という器について羂索はどのように捉えていたのだろうか。
その答えは直近のWJ本誌に描かれている。
羂索が発したセリフを紐解いていこうと思う。
「……答えろ。悠仁に何をさせるつもりだ。150年放置してきた俺たちとは訳が違うはずだ。
悠仁で何を企んでいる」
「……うーん。。アレは具体的に役割があるわけじゃ……。
まぁ強いて言えば器であることが役割で、既にそれは済んでいるからね。
虎杖悠仁は始まりの狼煙なんだ。
あれが宿儺と生き続ける限り呪いの連鎖は止まらない。新時代の台風の目なんだ」
『呪術廻戦』第203話「血と油②」
かなり渋い表情・微妙なリアクションをしていることから虎杖悠仁という人物自体にはさほど興味がないことがわかる。
加えて「具体的な役割があるわけじゃ」と述べているところにも注目してもらいたい。
虎杖悠仁が行動して何かすることを期待しているわけでも、これから何か求めているわけはない。
「まぁ強いて言えば器であることが役割で、器でにそれは済んでいるからね」
つまり虎杖に求められていた役割は”宿儺の器”であることであり、それ以上は何も期待されていない。
羂索にとって虎杖悠仁という存在は、宿儺が完全受肉を果たすための道具でしかない。
ただ単に羂索の目的に必要というだけの理由であるというのは、別記事にて詳しく書いている。
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